Watermelon の独りごと。。。

難病カダシルと向き合って、、、やっぱり、人生楽しくなくっちゃ!

泣いて過ごす毎日

 
 
自分の、病気がわかって以来、毎日、泣いてばかり、、、
 
仕事をしていても、何をしていても、自然に涙が出てくる、
さすがに、楽観的な、こんな私でも、
これ程、辛い事はなかった、精神的にも打ちのめされた、
 
「直ぐに死んじゃう、、」と言う思いで、たまらなく怖かった。
 
あと、、まず、2人の子供の事が心配でたまらなかった、、、
特に下の子はまだ高校生、、、
 
私が、入院したと聞いただけで、、、わ〜んわ〜ん泣きながら、
病院に来るほど、まだまだ子供、、、
 
心配で心配でたまらない、
 
私たち家族はNYに住んでいる、子供達は2人ともNY生まれ。
 
子供達の父親とは、もう、ずっと別居をしている。
近くには、住んでいるけど、、、
私と2人の子供、家族はこの3人だけ、
 
近くに、親戚がいるわけじゃないし、
 
もし、私が死んじゃったら、、、

こんなことばかり考えていた。

結果が出るまでの地獄の様な3週間

 

Cadasil 検査をして、3週間ほど経って、

脳神経内科のドクターから、連絡が来た。

検査の結果が出たという連絡だった。

 

この日までの3週間はまるで、地獄の様な日々だった。

 

早速、ドクターのオフィスに行って、

まず最初にドクターが私に言った言葉、、、

 

YOU HAVE CADASIL'だった。

 

きっと、こんな時、こういう風を言うのだろう、、

「頭が真っ白になって、頭が遠くなって、何も聞こえなるなった、、、、」

きっと、こんな時、こういう風を言うのだろう、、

「崖から突き落とされた様な、なんとも言えない絶望感、、、、」

ただ、

涙が出るだけだった、、、

ドクターが、テッシュペーパーをくれて、

黙って、私を見ている。

 

でも、このドクターはこの病気のことを知っていて、

私のMRIの画像を見てこの病気を発見してくれた。

 

がんを本人に告知する、、、しない、、、そんな感覚?

 

 

でも、私は、言ってくれて、よかった

何が、よかったか、、それはわからない、、でも、覚悟ができる。

 

なんの覚悟?

 

この病気は珍しく、いまだに知らないドクターさえ多い

でも、この、私のドクターは知っていた、そして、私の病気を発見してくれた。

これは私にとって、ラッキーなことだと思う、、

 

 

 

でも、子供たちになんて言おうか、、、、、

 

 

遺伝子検査、、、

 

その後、2ヶ月間くらいは、相変わらず、色々な検査が続いた。

脳のMRIも、違うOfficeで撮ってみたり、、、

脳波の検査をしたり、

殆どが、脳神経内科の検査だった。

 

ある時、ドクターの勧めで、CADASILの特別な検査、

遺伝子の検査をする事になった。

 

この検査は、ドクターオフィスではなく、

私の自宅に、遺伝子の検査が専門の機関から、専門の人が来た。

 

そして、大量の血液を摂って行った。

 

因みに、この遺伝子検査、





この遺伝子を調べる血液検査、、、

血液検査だけで、、、、 、、OMG!!!    $4000、、、、

信じられない!

 

主治医の鋭い診断

退院した後は、ドクターに言われた通りにフォローアップ、

まずは、脳神経内科のドクターに2週間に1回の通院が始まった。

それ以外にも、何人かのドクターに会ったけど、、、覚えてない、、、

ずっと、毎週、検査で、何人ものドクターに会ったので、、、忘れてしまいました。

 

脳神経内科のドクターのオフィスへ行く様になって、まだ、そんなに経ってない頃だった、

ドクターが病院で撮った、私の頭のMRIを見て、何かを疑っていた。
その時、ドクターが言っていた病名がCADASILだった。

 

ドクターが言うには、

「違うとは思うけど、、、」「もしそうだったら、、、」

NO ONE FIX IT」「誰も、治せない」

私は、初めて聞いた名前だったので、「何?それ?」って感じで、、、

すると、ドクターは「Google It」と言って、メモにそれを書いて私に手渡した。

 

早速、家に帰って、ググった、、、、

 

 

以前、」片頭痛、ロレツ、、」をググった時の、あの焦りとは全く違う、

その時は、焦りと更に恐怖が加わった、、、、

本当に、怖かった、

それでも、私は、どちらかと言うと、楽観的な性格、まさか、私がそんな病気になる訳ない。。

「きっと、ドクターの勘違いだ!」なんて思っていた。

 

 

NYの医療に関して

 

朝早く、ドクターが来て、言われた事、

検査の結果、「今回は軽い脳梗塞」らしい、、、

ドクター曰く、「今までにも、2、3回ミニ脳梗塞だあった」って、、、

 

予想はしていた、、、、でも、ちょっと、ショック、、、、

 

父が脳梗塞で、晩年は半身不随で、母がずっと面倒を看ていました。

父は76歳で他界。

 

 

 

さて、私の病気と言うか、身体の問題については、分かりました、、、

、、、、ま、とりあえず退院です。

この時はまだ、CADASILと言う事は知りません。

 

 

 今日は少し、アメリカの医療制度について、話そうと思います。

 

 

さあ、これから、退院の手続きをしないといけません、

 

今回の、救急での受診、診察、MRI、CTスキャン、その他、諸々、

+3日間の入院、、、

 

誰もが思っているはず、アメリカの医療が高い!と、、、、

 

 

その通り、本当に高いです。

 

今回、かかった医療費、かなりすごいと思います。

 

間違えなく1万ドル超えでしょう、、、

 

1万ドルー>簡単に1ドル、100円の計算でーーーーーー>100万円です。

今だったら、130万円位ですかね、、、、

こんな金額、払えるわけない!

 

こんな理由もあって、

病院に来るのを最初は、躊躇していたんです。

 

 

保険に入っていない事は診察の前に言ってある、

 

なので、、、、、

 

退院の前には、必ず、健康保険のエージェントの人が病室まで来てくれる、

支払い方法を話し合うために、

きっと、こう言うエージェントの人は保険に入っていない人のアドバイスをするために、

常時病院に待機しているんだと思います。

それは、もちろん、病院側は医療費を回収したいから、

 

 

でも、支払えない人から、何回払い、、毎月幾ら、、と言う感じに、取り立てたりはしません。

 

 

ここが、アメリカの凄い所、

 

私みたいに、シングルマザーで大した収入もなく、到底、払えるわけがない。

今回の診察、入院、更に今後に通院、処方箋、、、、

 

幾つかのプランがあって、エージェントに人が、説明してくれて、、、、

結局、エージェントの人が、勧めてくれたのが、100%カバーされる、保険でした、、、

全て、このNY州が負担してくれる。

 

これからの通院、処方箋も、全て、、、

どう言うシステムになっているのかは、全くわかりません、

 

今回も、こんな感じでNY州にお世話になることになりました。

 

実は、昔も、1度、医療でNY州にはお世話になった事があります。

なので、こう言った、アメリカの福祉制度には、私は本当に感謝しているんです。

その話は、また追って、話したいと思います。

 

今日は、これくらいにします。

 

 

 

NYの救急/ EMERGENCY ROOM

 
 
  今日は、NYの病院の救急、Emergency Roomの事を少し話します。
 
 
昨日の夜、病院に来たので、当然Emergency roomです。
 
病院は、ウチから5分も車で走ると心臓専門の大きな病院があります
心臓専門と言っても、総合病院の様な病院です
 
ここの救急は、昔、何度か子供を連れて来た事だあります
Emergency roomがあまり混んでいないので、、、
 
娘を連れて来た事があります、まだ5歳くらいだったとかな、、、、
高熱を出して、私は心配で、心配で、、、この病院のEmergency room連れて来ました。
あまり待つ事なく、仮眠をしていたと思われる医師が、寝ぼけ眼で診察に来たんです。
NYのEmergency roomは救急とは言っても、2時間、3時間待つのは当たり前です。
本当に緊急な患者が優先なんですね。
とにかく人が多くていつも混んでいるのがNYのEmergency roomです。
 
この病院はそうじゃなかったから、、、、
  
、、だからここに来たのに、、、
 
この日は、運悪く、すごく混んでて、患者で溢れていました

私は、通路に臨時で置かれたベッドに寝かされ、かなり待たされました。
ようやくドクターが来て診察が始まり、私が症状を話して、、通路に寝かされたまま、、、

それから、また3時間くらい待ちました。

3時間くらい待って、やっと検査が始まりました。
MRI、CTスキャン、血液検査、結局、その夜は病院に泊まる事になって、、、、
 
丁度、検査が一通り終わった頃、娘が私の同僚に連れられて、病院に来ました。
 
私の顔を見る前からわ〜んわ〜ん、泣いていました。
、、、その当時で彼女は、まだ高校生だったので、、、
 
病院のベッドでお母さんが横になっているのなんて、今まで、見た事ないから、、、
相当、怖かったんだと思いました。やっと娘が泣き止んだ頃は夜も相当更けていました。
 
みんなが帰った後、やっと、病室に移動してもらって、、
漸く静かになって、ゆっくり眠る事ができました。
 
 
 
そして、、、
次の朝早く、ドクターが病室に来て、検査の結果を知らされました。

 

 

偏頭痛、ロレツが回らない

 

7年前の出来事
喋るのに違和感を感じた次の日、
 

次の朝、喋るのに昨日の様な違和感はなかったけど、ちょっと心配、、、

インターネットで検索してみた。


「偏頭痛、ロレツが回らない」


実は、前から偏頭痛がひどく、一時は、市販の頭痛薬を4時間置きに毎日服用していた、、
それを3ヶ月位続けた事がある。
なので、偏頭痛も、キーワードに入れてみた。
 
検索結果、、、、「脳神経内科」「脳疾患の前兆、、、」こんな結果が、

ズラズラズラ〜と出た、かなり焦って、
 
不安ながらも、とりあえず仕事に行った。

仕事に行ったはいいけど、、、やっぱり不安でたまらない。

その日は、仕事にならなくて、早めに帰宅。
 
同僚から夜、メッセージが来た。
「絶対に病院に行きなさい」
「連れていく日違いなかったら私が連れていく!」と強く言われ、
 
夜、息子に頼んで、救急で病院に行った。